2014年08月31日

ユダヤ哲学…アレクサンドリアのフィロン

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#アレクサンドリアのフィロン


#ユダヤ哲学 - Wikipedia
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ユダヤ哲学


ユダヤ哲学とは、ユダヤ人とユダヤ教によって行われた全ての哲学的活動を意味する。


概要[編集]

ユダヤ哲学は、ユダヤ教の成立からユダヤの解放まで、一貫してラビ的ユダヤ教の伝統の中で新しい思想を取り入れる試みであった。

つまり、ユダヤ特有の学問体系と世界観において、必ずしもユダヤ思想と相容れない新興の思想を体系付ける試みであった。

シュテットル(ユダヤ人コミュニティー) 生活において、非宗教的教育を受けたユダヤ人は、現代的要求との出会いによって常に新しい思想を受容し、また自ら開発した。

東欧のユダヤ人におけるシュテットル生活の終了は敬虔なユダヤ教徒の思想へのあり方を改めることになった。

アラブ出身のユダヤ人についても同様であった。

そのいくつかの共同体は、正当性の有無に関わらず非宗教的教育を認めなかった。

他の共同体においては非ユダヤ教的哲学、音楽、芸術、文学そして倫理を学ぶことは奨励された。

しかし普遍的事実とは認められなかった。


古代ユダヤ哲学[編集]

聖書哲学[編集]

タルムード編集者はアブラハムはメルキゼデクから学び、その哲学を伝えたと主張している[1]。

このためセーフェル・イェツィラー(形成の書)の著者をアブラハムであるとする場合もある[2]。

タルムードはアブラハムが世界を神の計画の下にある「神の光と共にある家」とし、創造主と監督者を持っていると理解した経緯を描いている[3]。

多くの学者がメルキゼデクがアブラハムの思想に影響を与えていると認めている。

しかしその範囲とセーフェル・イェツィラーの起源についてはなお議論がある。

詩篇は「アブラハムの言葉を通して神の知恵を愛すること」へと招待している。

この事実により一部の学者は、ユダヤ教には哲学的基礎が存在していると示唆している。


アレクサンドリアのフィロン[編集]

フィロン(紀元前20年- 紀元50年) はギリシャ哲学とユダヤ教を、ユダヤ釈義学とストア哲学による比喩的解釈によって融合し、調和しようとした。

フィロンはユダヤ教の真理の保護と弁明のためにその哲学を生み出した。

これらの真理は確固とした物であり、確定した物であると彼は認めていた。

この中で哲学は真理への援助として用いられ、これに到る手段として用いられた。

このためフィロンはギリシャ哲学を選別した。

つまり、アリストテレスの世界の永遠性、不滅性などのユダヤ教と一致しない思想を排除した。

ベルナルド・レベル博士は、10世紀のカライ派の著作を伝える「カライ・ハラハー」についての論文の中で、ヤコブ・キルキサニによるフィロンの引用を通し、カライ派の発展の中でフィロンの著作がどのように用いられていたのかを論じている。

フィロンの著作は中世のキリスト教神学者にとって重要になった。

彼らは「ユダヤ教には信仰が存在する」と中世ヨーロッパにあって主張するカライ派の著作に信用を与えた。

しかし技術面への信用であり、偽りの物であるとした。


第二神殿崩壊後のユダヤの学問[編集]

紀元70年の第二神殿崩壊と共にユダヤ人社会は混乱した[4]。

ディアスポラ・ユダヤ人の指導者たちはパルティアの都市ネヘルデアに避難した。

国内の戦争はユダヤ人社会を分断し、ローマによるジェノサイド、奴隷化、エルサレムからの追放はユダヤ人社会とそのリーダーたちへの残酷な一撃となった。

ラビ・ヨハナン=ベン=ザッカイはそつのない作戦により、サンヘドリンを守り、ヤブネへと移転させた。

その後間もなくヤブネの宗教会議はラビ・ユダヤ教の保護、正典の編纂、教義の改正に応じた。

詳細は「ユダヤ人#歴史」および「古代イスラエル#ユダヤ戦争」を参照


脚注[編集]

Daniel H. Frank and Oliver Leaman (eds.),History of Jewish Philosophy. London: Routledge, 1997.ISBN 0415080649

Colette Sirat,A History of Jewish Philosophy in the Middle Ages. Cambridge University Press, 1990.ISBN 0521397278

[ヘルプ]
^ "The Melchizedek Tradition: A Critical Examination of the Sources to the Fifth Century ad and in the Epistle to the Hebrews", by Fred L. Horton, Jr., Pg. 54, Cambridge University Press, 2005,ISBN 0521018714

^ "Sefer Yetzirah", By Aryeh Kaplan, xii, Red Wheel, 1997,ISBN 0877288550

^ Bereishit Rabba (39,1)

^ "Christianity, Judaism and other Greco-Roman cults: studies for Morton Smith at sixty", Volume 12,Part 1, Pg 110, Volume 12 of Studies in Judaism in late antiquity, by Jacob Neusner ann Morton Smith, Brill 1975,ISBN 90-04-04215-6



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パラドックス(paradox)…кккрррXXXθ

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パラドックス


パラドックスと呼ばれるものの一般的な構造(左側)、そして解決の基本的な三つのパターン(右側)[1]。

図では示されていないが、前提には明示されるものと、そうでないものがある。

パラドックスを取り扱う際は、明示されていない前提にも注意を払っていく必要がある。

パラドックス(paradox)とは、正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉である。


パラドックスとは[編集]

「妥当に思える推論」は狭義には(とりわけ数学分野においては)形式的妥当性をもった推論、つまり演繹のみに限られる。

しかし一般的にはより広く帰納など含んだ様々な推論が利用される。

また「受け入れがたい結論」は、「論理的な矛盾」と「直観的には受け入れがたいが、別に矛盾はしていないもの」に分けることができる。

狭義には前者の場合のみをパラドックスと言い、広義には後者もパラドックスという。

こうした区分は主に数学分野を中心に行われるもので、結論が直感的に受け入れやすいかどうかではなく、公理系の無矛盾性をより重視する所から来る区分である。

論理学者のハスケル・カリーは、単に直感に反しているだけで矛盾は含んでいないパラドックスのことを、擬似パラドックス(pseudoparadox)、と呼び、矛盾を含むパラドックスと区別した[2]。

数学以外の分野では「パラドックス」という言葉はよりラフに用いられ、「ジレンマ」、「矛盾」、「意図に反した結果」、「理論と現実のギャップ」等、文脈により様々な意味に用いられる。

日本語では逆説、逆理、背理と訳される。

語源はギリシャ語(παρ δοξον<παρα-, para-:反対の +δ ξα, d xa: 意見)。

有名なものに、自己言及のパラドックス、リシャールのパラドックス、ベリーのパラドックスがある。

以下、辞書における定義を引用する:

一般に容認される前提から、反駁しがたい推論によって、一般に容認し難い結論を導く論説を逆理(パラドックスまたは逆説)という。

一見正しそうでも、よく考えれば間違った前提や欠陥のある推論を用いている場合は虚偽(fallacy, paraligism)と呼ぶべきだが、これも広い意味では逆理に含められる。

日常感覚的に理解し難い事実を導く科学的(数学的)推論もしばしば逆理といわれる。

バナッハ-タルスキの逆理はその好例である〔…〕。

このようなものを擬似逆理であるとして、論理的な矛盾を導く二律背反(antinomy)を真性の逆理とする立場がある一方で、二律背反は単に矛盾であって逆理でないという見方もある(後略)。

「逆理」日本数学会編『岩波 数学辞典 第4版』岩波書店、2007年(ISBN 978-4-00-080309-0)

言葉のもともとの意味では、〈パラドックス〉とは一般に受け入れられている見解に反する命題(ギリシア語でparadoxa)という。

論理学でこの言葉を厳密な意味で用いるときは、証明されるはずのない矛盾命題が、妥当な推論によって、あるいは少なくとも一見妥当な推論によって導かれることを〈パラドックス〉と呼ぶ。

内井惣七「パラドックス」『岩波 哲学・思想辞典』岩波書店、1998年(ISBN 978-4-00-080089-1)

常識的見解に矛盾するように見える見解、あるいは真理に矛盾するように見えて、実はそうではない説。

「パラドックス」青本和彦(編集)、上野健爾(編集)、加藤和也(編集)、神保道夫(編集)、砂田利一(編集)、高橋陽一郎(編集)、深谷賢治(編集)、俣野博(編集)、室田一雄(編集)『岩波 数学入門辞典』岩波書店、2005年(ISBN 978-4-00-080209-3)


数学における概要[編集]

数学はその発展の中で、「正しそうに見える推論」の中から「本当に正しい推論」を選り分けてきた。

こうしてまず最初に整数や幾何図形のような対象が数学で扱えるようになったが、その後集合や無限のような深遠な対象を取り扱ったり、自己言及のような複雑な推論を扱ったりするようになると、どれが「本当に正しい推論」でどれが「正しそうに見えるが実は間違っている推論」なのかが分からなくなってしまった。

パラドックスはこのように、仮定、推論、定義等がよく理解されていない状況で発生してしまうものである。

したがって、パラドックスは単なる矛盾とは区別される。

例えば有名な「嘘つきパラドックス」は、「嘘つき」とは何かがはっきりしないからこそ「パラドックス」なのである。

これらがはっきり定義された暁には、「嘘つきパラドックス」は単なる「背理法」や「間違った推論」に化ける。

このようにパラドックスに適切な解釈を与えて「背理法」や「間違った推論」に変える事を、パラドックスを解消するという。

数学は矛盾を含まないよう注意深く設計されており、パラドックスの起こる命題はうまく避けたり、あるいはパラドックスを解消した上で取り込んでしまったりしている。

従って昔はパラドックスを内包してしまっていた集合や無限のような対象も現在では取り扱う事ができる。

なお、上で説明したようなパラドックスと違い、 正しい仮定と正しい推論から正しい結論を導いたにも拘らず、結論が直観に反するものも「パラドックス」と呼ばれる。

これは擬似パラドックスと呼ばれ、前述した「真の」パラドックスとは別物である。

例えば誕生日のパラドックスは擬似パラドックスとして知られる。

これは「23人のクラスの中に誕生日が同じである2人がいる確率は50%以上」というもので、数学的には正しい事実だが、多くの人は50%よりもずっと低い確率を想像する。

他にもヘンペルのカラス、バナッハ・タルスキの逆理などが擬似パラドックスとして知られる(が、これら2つは、数学の公理の妥当性に疑問を投げかける、重大なパラドックスである)。

一方、正しそうに見えた仮定や推論が実は間違っていた場合は単なる「勘違い」である。

なお、(実は間違っている)仮定Aと正しい推論から矛盾した結論を得るのは背理法と呼ばれ、「Aではない」という結論を得る為に数学でよく使われる論法である。

特殊な場合として、(公理以外に)何も仮定を置いていないにもかかわらず、正しい推論から矛盾した結論を得たとすると、これは「数学自身が矛盾を含んでいた」事になってしまうが、そのような事はないと予想されている。


パラドックスの一覧[編集]

哲学[編集]

ゼノンのパラドックス

無限とその分割に関するパラドックス。

最も有名なものは下記の「アキレウスとカメのパラドックス」。

他のものについてはリンク先記事を参照。

カメを追いかけてカメのいた地点にたどり着いても、その時点でカメはさらに先に進んでいるため永久にカメに追いつくことはできない。


探求のパラドックス

探求の対象が何であるかを知っていなければ探求はできない(さもなくばそれは顔も名前も知らない人を探すようなものである)。

しかし、それを知っているならば既に答えは出ているので探求の必要はない。

プラトンがメノンにて指摘した。


グルーのパラドックス

アメリカの哲学者ネルソン・グッドマンの考えた帰納にまつわるパラドックス。

同じデータからは複数の帰納が可能である。


全能の逆説

全能者は自分が持ち上げることができないほど重い石を作る事ができるか?


砂山のパラドックス(ソリテス・パラドックス)

砂山から数粒の砂を取り除いても砂山だが、数粒取り除く操作を何度もくり返し、最終的に一粒だけ残ったものも「砂山」と呼べるか。


ハゲ頭のパラドックス

ハゲ(ここでは「髪の薄い人」の意)に数本の毛を追加してもハゲである。

毛を追加する操作を何度も繰り返す事で、全ての人がハゲだと分かる。

砂山のパラドックスの起源とされる。


テセウスの船

度重なる船の修理で部品交換を繰り返しているうちに、船ができた当初あった部品は全て無くなった。

現在の船は最初の船と同一のものか。


現象判断のパラドックス

心身問題に関わるパラドックス。

ルネ・デカルトの時代以来続く、心的なものと物理的なものとの間の相互作用に関わる困難についてのパラドックスの現代版。


数学・記号論理学[編集]

ルイス・キャロルのパラドックス

推論の正当化に関する無限後退を扱ったパラドックス。

推論規則や公理の位置付けを考えるのに使われる。


バナッハ=タルスキーのパラドックス

球を5個以上に分割して組み立てなおすと、もとの球と同じ大きさの球が2個できる、というもの。

選択公理の不自然さを指摘したもの。


ヘンペルのカラス

カラスを1羽も見る事無く「カラスは黒い」を証明できる、というもの。

対偶論法の不自然さを指摘したもの。


抜き打ちテストのパラドックス

「期間内に抜き打ちテストを行う」という特に間違ってなさそうな言説から矛盾を導く。

このパラドックスを解消するには様相論理を必要とする。


トムソンのランプ

今から1秒後にランプをつけ、その1/2秒後にランプを消し、さらにその1/22秒後にランプをつけ…というように1/2n秒毎にランプのon/offを切替えると、全部で2秒経過したときランプはついているか。


すべての馬は同じ色

数学的帰納法をもとにしたパラドックス。


ベルトランのパラドックス

一見簡単な問題が「無作為」という言葉の解釈次第で結論が変わってしまうというもの。


自己言及パラドックス関連[編集]

ラッセルのパラドックス

自分自身を要素としない集合の集合は、自分自身を含んでいるか。


ベリーのパラドックス

「19文字以内で記述できない最小の自然数」は何か?(「」内の文章自体が19文字であることに注意)


嘘つきのパラドックス

「この文章は嘘である」。

ゲーデルはこれを「この命題は証明出来ない」という命題に改めて、第一不完全性定理を導いた。


カリーのパラドックス

「この文章が正しいならばAである」(Aが真でない場合、矛盾する)


床屋のパラドックス

ある村の床屋は自分で髭を剃らない村人全員の髭だけを剃ることになっている。

それではこの床屋自身の髭は誰が剃るのか。


市長のパラドックス

自分が市長をやっている市に住んでいないような、不在市長ばかりを集めた不在市長市を作る場合、不在市長市の市長はどこに住むのか。


例外のパラドックス

「例外のない規則はない」という規則に例外はあるか。(例外があると仮定しても、無いと仮定しても自己矛盾する)


張り紙禁止のパラドックス

「この壁に張り紙をしてはならない」という張り紙は許容されるか。


落書きのパラドックス

落書き禁止の壁に、「落書きするべからず」と書くことは許容されるのか。(張り紙禁止のパラドックスと同じ意)


リシャールのパラドックス

ブラリ=フォルティのパラドックス

「全ての順序数の集合」を仮定すると、それ自身が順序数であることから矛盾が生じる。


ワニのパラドックス

「自分の行動を当ててみろ」という襲撃者に対し、たった一言でその動きを完ぺきに制御してしまう。

自己言及型のパラドックスの1つ。


自動点灯ライトのパラドックス

相対主義のパラドックス

相対主義は「相対主義を認めない」も許容するのか。

あるいは「どの主張も絶対的に正しくない」という相対主義の主張は絶対的なのか。


無限の濃度に関するもの[編集]

ガリレオのパラドックス

ほとんどの自然数は平方数ではないにもかかわらず、自然数nを平方数n2に対応させると、自然数全体と平方数全体とは1対1対応する。


ヒルベルトの無限ホテルのパラドックス

無限に部屋のあるホテルは、満室であってもそれぞれn番目の客室の客にn+m番目の客室に移ってもらうことにより、さらにm人の客を泊めることができる。

無限の客がやってきても、元いた客に2n番目の客室に移ってもらうことにより入室可能。


これら2つは一見真のパラドックスに見えるが、実は擬似パラドックスにすぎず、数学的に正しい事実を述べている。濃度を参照。


スコーレムのパラドックス

下降型レーヴェンハイム-スコーレムの定理によると、ZF 集合論も可算モデルを持つことになるが、ZF 集合論の中には非可算集合が存在する。

このことは一見不合理のように見えるので、スコーレムのパラドックスと呼ばれる。

しかし、これは実際はパラドックスではなく、形式体系内での集合概念と、メタ理論内の集合概念の違いをはっきり認識していないと不可解に見えるというに過ぎない。


確率論関連[編集]

誕生日のパラドックス- 何人の人が集まると、その中に同じ誕生日の2人がいる確率が50%以上となるか。

陽性のパラドックス- 検査で陽性であったとき、実際に感染している確率は何%か。

モンティ・ホール問題- 3つのドアの選び方。

3囚人問題

サンクトペテルブルクのパラドックス

シンプソンのパラドックス- 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある。

これらは全て擬似パラドックスに過ぎない。


物理[編集]

ダランベールのパラドックス


宇宙論関連[編集]

ボイルのフラスコ

オルバースのパラドックス

宇宙が一様かつ十分に大きければ、一つの星の光は僅かでも総和として夜空は太陽面のように明るく輝くはずだというパラドックスである。

光の速度が有限であり、また宇宙やその年齢が夜空を星で埋め尽くすほどには大きくないため、前提が成立しないことが明らかとなった[3]。


ゼーリガーのパラドックス

宇宙が一様かつ無限であれば1つの星の重力は僅かでも総和として地球はあらゆる方向から無限に強く引かれるはずだというパラドックスだが膨張宇宙の発見により回避された。


フェルミのパラドックス


相対性理論関連[編集]

ガレージのパラドックス

物体が高速で動けば、その長さは縮む(ローレンツ収縮)。

静止する人から見ると、高速で走る車は長さが縮み、車と同じ長さのガレージに収まる。

高速で走る車内から見ると、高速で動くのは前方のガレージを初めとする周りのもの全てであり(相対性理論より)、それらは空間ごと縮む。

車の長さは不変のため、ガレージには収まらない。


双子のパラドックス

双子の片方が光速に近い速度で宇宙を旅行してから地球に帰ってきたときに、彼は地球に残してきた兄弟よりも若くなっているか年をとっているか(ウラシマ効果)。


ゲーデル解

一般相対性理論におけるアインシュタイン方程式の厳密解の一つ。

時空の回転と宇宙項を仮定した場合に得られるもので、時間旅行が理論的に可能になる。


量子力学関連[編集]

EPRのパラドックス

シュレーディンガーの猫のパラドックス


経済学・社会科学[編集]

グロスマン・スティグリッツのパラドクス

囚人のジレンマ

投票の逆理(コンドルセのパラドックス)

投票行動のパラドックス

アビリーンのパラドックス

エレベーターのパラドックス-エレベーターはいつも一方にばかり動いているように見える。

イノベーションのジレンマ

コモンズの悲劇

ブライスのパラドックス(英語)

倹約のパラドックス[4]- 景気が悪くなるとその対策として皆が倹約するが、その結果として需要が減り、さらに景気が悪化する、というもの。

倹約という不景気対策が逆に自体を悪化させるのがパラドックスたる所以である。(合成の誤謬も参照。)

ギッフェン・パラドックス- 普通は値段が上がれば需要が落ちるのに、ある種の財(ギッフェン財)では値段が上がると、かえって需要が増える。

レオンティエフの逆説[5]- アメリカの資本が優れている事から、アメリカの輸出品は輸入品よりも資本集約的であると想像されるが、実際は逆である。


貯蓄のパラドックス


サイエンス・フィクション[編集]

親殺しのパラドックス

タイムマシンで過去に行き、自分が生まれる前の自分の親を殺したとき、自分は産まれてこないことになる。

またそうなると自分が居ないために親が殺されない。

さらに、親は殺されないため自分は生まれてくる。

という循環ができる(タイムトラベル参照)。

また、これを含めてタイムマシンなど時間移動や過去を操作することが可能な方法を想定することで生じる矛盾を総じてタイムパラドックスという。


医療・健康[編集]

フレンチパラドックス

フランス人は脂肪分が多い食事をしている(とされる)にも関わらず、心筋梗塞が少ない事から。

ジャパニーズパラドックス

1965年(昭和40年)には、日本人成人男性の喫煙率が82.3%と他国よりも圧倒的に喫煙者が多かったにもかかわらず、2011年(平成23年)現在では日本は世界一の長寿国であり[6][7]、喫煙によって生じる筈である肺癌・動脈硬化・心筋梗塞発症率は欧米諸国に比べて10分の1から5分1と、実際には心筋梗塞の発症が日本人には少なくなる事から[8]。


未分類[編集]

料金の紛失のパラドックス- ある種のひっかけ問題。

寛容のパラドックス- 不寛容な相手に寛容な姿勢をとっていると、最終的には相手の不寛容さを受け入らざるを得なくなる、というもの。


関連項目[編集]

永久機関

擬似問題

ジレンマ

アポリア

アンチノミー

仮説

思考実験

矛盾許容論理

矛盾


参考文献[編集]

ウィリアム・パウンドストーン『パラドックス大全』松浦俊輔訳、青土社、2004年10月。ISBN 4-7917-6143-X。


脚注[編集]

^ 三浦俊彦『論理学がわかる事典』 日本実業出版社、2004年2月。ISBN 4-534-03710-4。

^ Weisstein, Eric W."Pseudoparadox."FromMathWorld

^ エドワード・ハリソン (Edward Harrison) 『夜空はなぜ暗い? オルバースのパラドックスと宇宙論の変遷』長沢工監訳、地人書館、2004年11月。ISBN 4-8052-0750-7。

^ ポール・クルーグマン・ロビン・ウェルス『クルーグマン マクロ経済学』大山道広・石橋孝次・塩澤修平・白井義昌・大東一郎・玉田康成・蓬田守弘訳、東洋経済新報社、2009年4月、p. 333。ISBN 978-4-492-31397-8。

^ ポール・クルーグマン・ロビン・ウェルス『クルーグマン ミクロ経済学』大山道広・石橋孝次・塩澤修平・白井義昌・大東一郎・玉田康成・蓬田守弘訳、東洋経済新報社、2007年10月、p. 499。ISBN 978-4-492-31383-1。

^ “日本、世界一の長寿国-WHO発表”. (2009年05月22日 02:38) 2010年7月24日閲覧。

^ “日本、長寿世界一を堅持=09年は平均83歳−WHO統計”.時事通信. (2011年5月13日) 2011年5月15日閲覧。

^ “ジャパニーズパラドックスについて(2007/9/16)”(プレスリリース), あいち健康プラザ あいちの森健康科学総合センター, (2007年9月16日) 2011年12月19日閲覧。


外部リンク[編集]

パラドックス集

「Paradoxes and Contemporary Logic」-スタンフォード哲学百科事典にある「パラドックスと現代論理学」についての項目。(英語)

Paradox- fromMathWorldby Eric W. Weisstein.



集合論

公理
外延性公理・分出公理・対の公理・和集合公理・冪集合公理・置換公理・無限公理・正則性公理・選択公理


演算
直積・和集合・積集合・商集合・集合差・対称差・冪集合・補集合


概念
濃度・基数・順序数・クラス・元・1対1の対応・ベン図


集合
可算集合・空集合・有限集合・無限集合・部分集合


理論
カントールの定理・素朴集合論・公理的集合論・パラドックス・ラッセルのパラドックス


人々
ゲオルグ・カントール・バートランド・ラッセル・エルンスト・ツェルメロ・アドルフ・フレンケル

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デング熱(dengue fever)кккрррXXXθ…

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デング熱

デング熱(ねつ、まれにデンゲ熱とも、英:dengue fever、イギリス発音:/d e /、アメリカ発音:/d i /)は、デングウイルス(Dengue virus)が原因の感染症であり、熱帯病の一つである。予防ワクチンは無い。


分類及び外部参照情報

ICD-10 A90
ICD-9 061
DiseasesDB 3564
MedlinePlus 001374
eMedicine med/528
MeSH C02.782.417.214


概要[編集]

一過性の熱性疾患であり、症状には、発熱、頭痛、筋肉痛、関節痛(Arthralgia)、はしかの症状に似た特徴的な皮膚発疹を含む。

治療方法は対症療法が主体で、急性デング熱にはいま起きている症状を軽減するための支持療法 (supportive therapy, supportive care)が用いられ、軽度または中等度であれば、経口もしくは点滴による水分補給、より重度の場合は、点滴静脈注射や輸血といった治療が用いられる。

稀ではあるが、生命を脅かすデング出血熱に発展し、出血、血小板の減少、または血漿(けっしょう)漏出を引き起こしたり、デングショック症候群に発展して出血性ショックを引き起こすこともある。

主な媒介生物はヤブカ属の中でも特にネッタイシマカ(Aedes aegypti)やヒトスジシマカ(Aedes albopictus)などの蚊によって媒介される。

ただし、ヒトスジシマカにとってヒトは主な吸血対象ではなく、デング熱の媒介はまれである。

このウイルスには4つの異なる型があり、ある型に感染すると、通常その型に対する終生免疫を獲得するが、他の型に対する免疫は短期間にとどまる。

また、異なる型に続けて感染すると、重度の合併症のリスクが高まる。

デング熱が文献に現れるようになったのは1779年からであり、ウイルスが原因であることや伝染経路について解明されたのは、20世紀初頭である。

第二次世界大戦以降、デング熱は世界的に広まり、1960年代からその発生数は急激に増加している。

現在では、110ヶ国以上で毎年およそ5,000万人から1億人が感染する風土病となっている。

その原因として、急激な都市化や地球温暖化が関与していると考えられている。

対策としては、蚊の駆除の他に、ワクチンの研究やウイルスに直接働きかける薬物治療の研究が進められている。


臨床像[編集]

デング熱の症状を示す略図

通常、人間同士の直接感染は起こらない。

ただし、輸血、血液製剤、臓器移植は例外である[1][2]。

デングウイルスに感染しても8割は無症状であり、それ以外も軽度の症状、例えば合併症を伴わない発熱症状が現れるだけがほとんどである[3][4][5]。

しかし、5%の感染者では重症にまで発展し、さらにごく一部では生命を脅かすこともある[3][5]。

潜伏期間(感染してから症状が出るまでの期間)は3日から14日であるが、ほとんどの場合は4日から7日である[6]。

このため、デング熱の流行地域から戻ってきた旅行者が、帰宅してから14日以上経った後で、発熱やその他の症状が出始めた場合、デング熱である可能性は極めて低い[7]。

子供の場合、風邪や胃腸炎(嘔吐や下痢)とよく似た症状がたびたび現れ[8]、症状は一般的に大人よりも軽いが[9]、その一方で重度の合併症に陥りやすい[7][9]。

シンガポールなどのデング熱が流行している国々では、その感染リスクは、10,000回の輸血のうち1.6〜6回と見積もられている[10]。

また、妊娠中もしくは出産時に、母親から子供へ垂直感染することも報告されている[11]。

その他、まれに人から人へと感染することも報告されている[12]。


臨床経過[編集]

デング熱の臨床経過[13]

デング熱の症状の特徴は、突然の発熱、頭痛(一般的に目の奥の痛み)、筋肉や関節の痛み、発疹である。

英語で別名「break-bone fever」と呼ばれているが、デング熱に伴う筋肉や関節の痛みに由来している[3][12]。

感染には、発熱、重症、回復の3段階がある[13]。

発熱期には、40℃以上の高熱が出ることがよくあり、全身の痛みや頭痛を伴う。

通常、このような症状が2日から7日続く[12][13]。

この段階で発疹の症状が現れるのは、50 - 80%である[12][14]。

1日目または2日目に紅斑が現れるか、さらに4日から7日疾患段階が経過した後に、はしかに似た発疹が現れる[14][15]。

またこの時点で、点状出血(皮膚を押したときに消えないまま残る小さな赤色の点で、毛細血管の破綻が原因)がいくつか現れ[13]、口や鼻の粘膜から軽度の出血がある場合もある[7][12]。

基本的に、発熱自体は1日か2日の間で急に熱が上がって下がるという二相性を示すが、どのような頻度でこの二相性発熱が生じるかはまちまちである[15][16]。

中には重症に発展する人もいる。

重症に至る場合、それは高熱から回復した後であり、通常1日から2日続く[13]。

この段階で、毛細血管の透過性が増し、水分の漏れが増加することで、胸腔や腹腔に多量の水分が溜まる場合がある。

これにより、血液量減少が生じたり、循環性ショックが生じたりする[13]。

またこの段階では、臓器障害や大量出血が、一般的には消化器で起きることがある[7][13]。

デングショック症候群と呼ばれる循環性ショックやデング出血熱と呼ばれる出血が発症する割合は、全症例の5%未満であるが[7]、以前に他の血清型のデングウイルスに感染したことがある場合(つまり、二回目の感染の場合)は、そのリスクが増える[7][17]。

引き続き、血流に漏れた水分が再び吸収されることによって症状は回復していく[13]。

これは通常2、3日かかる[7]。

回復は目覚しいが、激しい痒みが発生したり、徐脈(心拍が遅くなること)がよくある[7][13]。

斑丘疹または血管炎症候群といった別の発疹が現れ、皮膚が剥けてくる場合もある[9]。

この段階で、水分過負荷状態になることがあり、これが脳浮腫や意識レベルの低下、てんかんを引き起こす[7]。

数週間、疲労感が続く[9]。


付随する症状[編集]

デング熱は人体の他の部位に影響を与える場合もある[13]。

それは、単独の症状で現れることもあれば、典型的なデング熱の症状と共に現れる場合もある[8]。

意識レベルの低下は、重症例の0.5 - 6%で発生するが、ウイルス性脳炎がその原因の場合もあれば、肝臓などの重要な臓器の障害が間接的な起因となる場合もある[8][16]。

その他の神経疾患については、横断性脊髄炎やギラン・バレー症候群などがデング熱の合併症として報告されている[8]。

心筋炎や急性肝不全は、稀に起こる合併症の一つである[7][13]。


病原体[編集]

デングウイルス[編集]

デングウイルス


デングウイルスの透過型電子顕微鏡写真

中央付近に密集している黒点状のものがビリオン

分類(ウイルス)

群 : 第4群(1本鎖RNA +鎖)
科 : フラビウイルス科
属 : フラビウイルス属

デングウイルス(DENV)は、フラビウイルス科フラビウイルス属のRNAウイルスである。

同じ属には、黄熱病ウイルス、ウエストナイルウイルス、セントルイス脳炎(St. Louis encephalitis)ウイルス、日本脳炎ウイルス、ダニ媒介性脳炎ウイルス(Tick-borne encephalitis virus)、キャサヌール森林病(Kyasanur forest disease)ウイルス、オムスク出血熱(Omsk hemorrhagic fever)ウイルスがある[16]。

これらのほとんどは、節足動物(蚊やマダニ)が媒介しているため、アルボウイルス(節足動物媒介性ウイルス)とも呼ばれている[16]。

デングウイルスゲノム(全遺伝子情報)は、約11,000のヌクレオチド塩基からなっている。

その塩基配列は、ウイルスの粒子状構造に必要な3種のタンパク質分子(C、prM、E)と感染した宿主細胞にのみ発現し、ウイルスの複製に必要となる7種のタンパク質分子(NS1、NS2a、NS2b、NS3、NS4a、NS4b、NS5)をコードしている[17][18]。

また、血清型で4つのウイルス型、DENV-1、DENV-2、DENV-3、DENV-4に分類される[4]。

これらの4つの血清型はすべて、あらゆる症状を引き起こす原因となる[17]。

例えば、ある血清型に感染すると、その血清型に対する終生免疫を獲得するが、他の血清型に対する防御は短期間にとどまる[4][12]。

二度目の感染で重度の合併症が特に起こりやすいのは、以前血清型DENV-1に感染した人が、血清型DENV-2または血清型DENV-3に感染する場合や、以前血清型DENV-3に感染した人が、血清型DENV-2に感染する場合である[18]。


媒介生物[編集]

デングウイルスは、主にヤブカ、とりわけネッタイシマカ(Aedes aegypti)によって媒介される[4]。

これらの蚊は通常、北緯35度から南緯35度の間、標高1,000メートル以下の所に生息している[4]。

刺されるのは主に日中である[19]。

病気を媒介するヤブカの種には、他にヒトスジシマカ、ポリネシアヤブカ(Aedes polynesiensis)、スクテラリスシマカ(Aedes scutellaris)がある[4]。

ウイルスは、主にヒトを宿主とするが[16][4]、ヒト以外のサル目にも伝染する[20]。

たったひと刺しで感染し得る[21]。

デング熱に感染した人からメスが吸血すると、蚊の腸の内壁細胞にウイルスが感染する。

およそ8日から10日後、ウイルスは他の組織にも広がり、これが唾液腺にまで及ぶと、ウイルスが唾液中に放出されるようになる。

蚊はウイルスから有害な影響を受けないようであり、生涯感染したままである。

ネッタイシマカは、人工の水容器を産卵場所として好むため、ヒトの近くに住み着き、他の動物よりもヒトから吸血することが多い[22]。


傾向[編集]

重度の疾患は、乳幼児により多く見られ、多くの他の感染症とは対照的に、比較的栄養を多く摂っている子供たちの方が、なりやすい[7]。

また、男性よりも女性のほうがリスクが高い[18]。

糖尿病や気管支喘息など持病がある人がデング熱にかかると、命にかかわることがある[18]。

特定遺伝子における遺伝的多型(通常見られる遺伝的差異)は、重度のデング熱合併症のリスクを高める。

これには、腫瘍壊死因子α(TNF-α)、マンナン結合レクチン[3]、細胞障害性Tリンパ球抗原4(CTLA4)、トランスフォーミング増殖因子β(TGFβ)[17]、樹状細胞特異的ICAM-3結合ノンインテグリン(DC-SIGN)などのタンパク質をコードしている遺伝子やヒト白血球型抗原の特定の遺伝子座が含まれる[18]。

また、アフリカで広まっているグルコース-6-リン酸脱水素酵素欠損症と呼ばれる遺伝子疾患は、リスクを高めるおそれがある[23]。

ビタミンD受容体やFc受容体の遺伝子多型は、二度目にデングウイルスに感染したときに重度の疾患になることを防ぐと言われている[18]。


発症機構[編集]

デングウイルスを運ぶ蚊が人を刺すと、蚊の唾液と共にウイルスが皮膚に侵入する。

ウイルスは、白血球と結合してその中に入り、体内を移動しながら細胞内で増殖する。

白血球は、インターフェロンなどの多くのシグナルタンパク質を生成しながら応答するが、それが発熱やインフルエンザのような症状、重度の痛みなど多くの症状を引き起こす。

重度の感染の場合、体内でウイルス増殖が大幅に増大し、さらに多くの臓器(例えば肝臓や骨髄)に影響を与え、血流から漏出した液体が、小さな血管の壁を通り体腔へと流れる。

その結果、血管内で循環する血液が減少して血圧が下がるため、主要な臓器に十分な血液を送ることができなくなる。

さらに、骨髄で機能障害が起こると、有効血液の凝固に必要な血小板の数が減少する。

これにより、出血や他の主要なデング熱合併症のリスクが高まる[23]。


ウイルス複製[編集]

デングウイルスは皮膚に入るとすぐに、ランゲルハンス細胞(皮膚内にある樹状細胞の集合体で、病原体を識別する)と結合する[23]。

ウイルスは、ウイルスタンパク質とランゲルハンス細胞上の膜タンパク質、特にDC-SIGNやCLEC5AなどのC型レクチンやマンノース受容体と結合した際に生じるエンドサイトーシスという仕組みによって細胞内に入る[17]。

DC-SIGNは、樹状細胞上にある異物を認識する非特異的受容体であり、ここが主な進入口とみられている[18]。

樹状細胞は、最も近いリンパ節に移動する。

一方ウイルスゲノムは、細胞の小胞体上にある膜結合型小胞で翻訳され、細胞のタンパク質合成器官が、新しいウイルスタンパク質を合成する。

合成されたウイルスタンパク質によってウイルスRNAは複製される。

未熟なウイルス粒子は、ゴルジ体へと送られる。

ゴルジ体は細胞内小器官の一つで、いくつかのタンパク質は糖タンパク質へと修飾される。

こうして成熟した新しいウイルスは、感染した細胞の表面上で出芽し、エキソサイトーシスという仕組みによって放出され、単球(Monocyte)やマクロファージなどの他の白血球内に侵入できるようになる[17]。

感染した細胞はすぐに、インターフェロンやサイトカインを生成するようになる。

これらは、自然免疫系を介して、JAK-STAT経路によって媒介されるタンパク質グループの生成を大幅に増加し、ウイルス感染に対する様々な防御機構を働かせ始める。

デングウイルスの血清型の中には、この過程を遅らせるメカニズムがみられる。

また、インターフェロンは、獲得免疫系を活性化して、ウイルスに対する抗体を生成する他に、ウイルス感染した細胞すべてを直接攻撃するT細胞も生成する[17]。

このようにして様々な抗体が生成される。

ある抗体は、ウイルスタンパク質と密接に結合し、食細胞が食作用によって取りこみ破壊する。

しかし、抗体がウイルスとしっかり結合しないと、食作用によって食細胞に取り込まれたウイルスは破壊されずに複製される[17]。


重度の疾患[編集]

二度目に異なる血清型のデングウイルスに感染すると、デング出血熱やデングショック症候群のリスクが高まる理由は、まだ解明されていない。

最も広く受け入れられている仮説に、抗体依存性感染増強(Antibody-dependent enhancement、ADE)がある。

ADEの背景にある正確なメカニズムは不明である。

抗原の破壊には関与しない抗体と弱く結合することによって、破壊しようと取り込まれたウイルスが白血球内の別の区画に誤って運ばれることが原因であるかもしれない[17][18]。

ADEの他にも、重度のデング熱に付随する合併症を引き起こすメカニズムがあると言われており[3]、様々な研究結果はT細胞およびサイトカインや補体などの可溶性因子の関与を示唆している[23]。

重度の疾患では、2つの問題が現れる。

血管内皮(血管内に並ぶ細胞)の機能障害と血液凝固障害である[8]。

血管内皮障害は、血液が血管から胸腔や腹腔へ漏出する原因となり、血液凝固障害は、出血性合併症を引き起こす。

重度の疾患は、血中でのウイルス増加と骨髄や肝臓などの臓器が影響を受けることによるものである。

感染した臓器の細胞は死に、サイトカインの放出や線溶系(血液凝固とは反対向きにはたらく血栓分解)の活性化に至る。

この結果、内皮機能障害や血液凝固障害をもたらす[23]。


診断[編集]

警戒兆候[24]

腹痛
続く嘔吐
肝腫大
粘膜出血
血小板の減少に伴う
ヘマトクリット値の上昇
倦怠感

デング熱の診断は一般的に、報告された症状と診察に基づいて、臨床的に行われる。

これは、特に流行地域であてはまる[3]。

しかし、初期の疾患は、他のウイルス感染症との識別が困難なことがある[7]。

推定診断は、発熱の症状と次の中から2つの症状を確認することで行われる。

吐き気や嘔吐、発疹、全身の痛み、白血球数の減少、ターニケット試験(Tourniquet test)で陽性の場合、または風土病が警告されている地域に住んでいて、警戒兆候(表を参照)が見られる場合である[24]。

警戒兆候は通常、重度のデング熱が発症する前に現れる[13]。

ターニケット試験は容易に実施できるので、臨床検査が不可能な状況において特に有用である。

試験では、血圧計カフを5分間使用し、点状出血を数える。

その数が多いほど、デング熱である可能性が高いと診断される[13]。

熱帯または亜熱帯地域に滞在して2週間以内に発熱した場合は、診断を受ける必要がある[9]。

デング熱は、チクングニア熱との識別が難しい。

チクングニア熱は、デング熱とよく似たウイルス感染症で、共通する症状が数多くあり、同様の地域で発生している[12]。

また、マラリア、レプトスピラ症、腸チフス、細菌性髄膜炎などもデング熱と似たような症状をもたらすため、それらの病気を除外するための検査が必要となることも多い[7]。

臨床検査で一番早く変化が検出されるのは、白血球の減少で、続いて血小板減少や代謝性アシドーシスが見られることが多い[7]。

重度の疾患では、血漿漏出の結果、血液濃縮(ヘマトクリット値の上昇)や低アルブミン血症が起きる[7]。

胸水や腹水は、診察時に胸部や腹部が膨隆していることで検出することも可能ではあるが[7]、超音波検査で流体を確認することはデングショック症候群の早期発見に役立つ[3][7]。

しかし、検査装置は、入手困難な場合も多く、その使用は限られる[3]。


分類[編集]

2009年、世界保健機関(WHO)はデング熱の分類法を見直し、合併症のないものと重度のものという2種類にした[3][24]。

それは、1997年のWHOの分類があまりにも制約が多かったため、今でも幅広く使用されてはいるものの、単純化する必要があったためである[24]。

1997年の分類では、デング熱を原因不明の発熱、デング熱、デング出血熱に分けていた[7][25]。

デング出血熱は、さらにグレードI〜IVに細分されていた。

グレードIは、発熱が見られて、内出血しやすい状態やターニケット試験で陽性反応が出た場合のみで、グレードIIは、特発性出血が皮膚や他の箇所で起こる場合である。

グレードIIIは、臨床的にショックが認められた場合で、グレードIVは、ショックがあまりにも重篤なため、血圧や拍動が計測不可能な場合である[25]。

グレードIIIとIVは、「デングショック症候群」とも呼ばれる[24][25]。


臨床検査[編集]

デング熱は、微生物学的臨床検査で診断が可能である[24]。

検査は、細胞培養によるウイルス分離、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)による核酸検出、ウイルス抗原検出や特異抗体などの血清学的検査によって行われる[18][26]。

ウイルス分離や核酸検出は、ウイルス抗原検出よりも正確ではあるが、より費用がかかるためあまり用いられていない[26]。

また、これらの検査はどれも、疾患の初期段階では陰性を示すこともある[7][18]。

PCRとウイルス抗原検出は、最初の7日間により正確な結果が出る[9]。

インフルエンザ診断と同じ機器が使用できるPCR検査が2012年に導入されたが、今後ますます活用されると予想される[27]。

このような臨床検査は、血清学的なものを除き、疾患の急性期に限って診断の役に立つ。

デングウイルス特異抗体、免疫グロブリンG(IgG)型及び免疫グロブリンM(IgM)型の検査は、感染の後期において診断を確認するのに役立つ。

IgGとIgMは共に、5〜7日後に生成される。

IgMの最高レベル(力価)は最初の感染後に現れるが、IgMは二度目または三度目の感染でも生成される。

またIgMは、最初の感染後30〜90日で検出されなくなるが、すぐに再感染が起きた場合は、再び検出される。

対照的にIgGは、60年以上もの間検出され、症状がない場合、過去の感染歴を知るのに有用である。

血中のIgGは、最初の感染の14〜21日後にピークに達する。

その後の再感染では、より早い段階でピークに達し、力価は通常さらに高くなる。

IgGとIgMは共に、感染したウイルスの血清型に対する防御免疫を提供する。

IgGおよびIgM抗体を用いる臨床検査は、黄熱ウイルスなどの他のフラビウイルスと交差反応を起こすため、このような血清学的検査では判断が困難な場合もある[12][18][28]。

IgG検出のみでは通常診断を下さないが、14日後に血液サンプルを再収集し、特異的IgGのレベルが4倍以上増加した場合はその限りではない。

デング熱の症状が見られる場合は、IgM検出で診断は確定する[28]。
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毒の歴史…ккк→アヘン(阿片)、砒素、水銀…凹ハクチー団

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毒の歴史


毒の歴史では、毒[1]に関連する歴史を記述する。今日から紀元前4500年にまで遡ることができる。


概要[編集]

毒は武器や、毒そのものの解毒、そして薬など様々な目的で用いられ、毒性学(トキシコロジー)やその他さまざまの学問において飛躍的な進化を遂げてきた。

発見されたのは太古の昔であり、原始においても文明化ののちにも獲物や敵を素早く確実に倒すための道具として使用された。

毒の用法は洗練されていき、古代人たちは武器としての威力を高めるため毒と関わりつづけてきた。

歴史が下り、特にローマ帝国の時代がくると、暗殺というさらに今日的な使い方が現れるようになる。

すでに紀元前331年ごろにはディナーテーブルの飲み物にしのばされた毒がその役目を果たしたことが記録されているし、同様の試みはすでに広くなされるようになっていた。

この致死性の物質を使うことは、あらゆる社会階層においてみられる。

身分の高い人々であっても、目障りな政敵や商売敵を亡き者にするため、しばしば毒を用いてきたのである。

中世ヨーロッパで毒は、殺人術の一つとしてさらに一般的になっていった。

一方でよく知られた毒の多くに解毒の方法が見つかるようになるが、これは毒の有用性がさらに高まったことを受けてのものである。

アポセカリーとして知られる商家では毒だけでなく様々な医薬品を扱っていて、表通りに店を構えているのが普通だった。

伝統的に薬としても使われていたこの物質は、しかしより陰惨な目的も持ち始めていたのだ。

おそらく同時期に、世界の他の地域でも暗殺をより不透明なものにし、検出されないようにする毒物が求められていた。

この「毒の叙事詩」はアジアの一部でもやはり隆盛をきわめていたのである。

世紀が変わっても、人の道を外れたような、誰かに危害を加えるための毒の使用は広まる一方だった。

これらの解毒方法もまた進化していたのだが、新たな毒物の発見は止まらず、犯罪に常用されていくのである。

今日では有害物質による毒殺はその数を減らしてはいるが、工業製品に囲まれた日々のなかで毒による事故という新たな危険が生まれている。

いってみれば毒を使うことそれ自体は累乗的に広まったということだ。

農薬や消毒薬、洗剤、保存剤などの形で毒はどこにでも存在している。

他方、発展途上国ではいまもなお毒が狩猟の道具という最初期の使われ方をしている。

例えば、アフリカや南アメリカ、アジアなどの一部である。


毒の起源[編集]

Strychnos toxiferaはマチン科の植物。

抽出される毒はしばしば矢じりに塗られた


考古学の成果によれば、原始人たちは斧や棍棒、すこし時代が下って剣を武器にするとともに、それらをより強力にし容易く命を奪うことができるようにする方法を求めていた。

その答えが毒であった[2]。

ツボクラリン(ツヅラフジ科の植物の浸出液で、毒性を含んでいる)を蓄えもっておくような賢い人間たちはそれを狩りの道具として活用していた。

初期のヒトが様々な効果をもつ毒を発見し、それを武器としていたことは明らかである[2]。

この奇妙なる毒物の存在とその使用法は部族や氏族の長老たちによって秘蔵され、偉大な力の象徴とみなされていたという考え方もある[誰によって?]。

それは典型的な「呪医」(medicine man) や「魔女」(witch doctor) という概念の誕生でもあった[2]。

毒の危険性とその扱い方が理解されるようになったのは、その危うさを味わった人間がいるからでもある。

ポントス[3]に君臨したミトリダテス4世は毒による暗殺に怯えながら一生を過ごした。

彼は解毒の方法を求めて奔走した先駆者でもある[2]。

在位中のミトリダテス4世は死刑囚に毒を盛りつつ解毒薬の治験を行い、自分があらゆる毒への耐性をえることができるよう、なかば偏執的なまでに毎日いくつもの毒を試みた[2]。

ついに彼はわずかな量のハーブをいくつも調合することでこの時代もっとも有名になった治療薬を発見しており、ミトリダティウム (Mithridatium) と名づけられた[2]。

それは彼の王国がローマのグナエウス・ポンペイウスによって征服されるまで極秘の扱いを受けていた。

ポンペイウスが勝利すると、ミトリダテス王の解毒薬の製法、および薬草の研究書はローマ人のものとなった[4]。

小プリニウスは7000以上もの毒について記述している。彼によれば、「ポントスの一地方で毒入りの餌を与えられていたとおぼしきアヒルの血、それが後にミトリダティウムの調製に用いられた。

なぜならそのアヒルは毒入りの餌を食んでも、まったく健康であったのだ」[2]。

インドの外科医ススルタは遅効性の毒のまわり方とその治療薬について書き残しているが、やはり毒を返すための伝統的な素材を用いたこの解毒薬について語っている[5]。


インド[編集]

毒を塗った武器は古代インドで用いられ、戦術にも取り入れられた[6]。

サンスクリット語の詩行にこんなものがある。

「井戸には毒が流され、汚されたJalam visravayet sarmavamavisravyam ca dusayet」[6] カウティリヤ(紀元前350年-283年頃)は、マウリヤ朝初代チャンドラグプタ王(紀元前340年-293年頃)の相談役であり首相でもあった[7]。

カウティリヤは国益を得るために秘密の武器、すなわち毒をつかうよう王に誘いかけた[8]。

一方で彼は暗殺への警戒も怠ることなく、毒見役の設置を急ぎ、毒を検出するための方法も洗練させた[9]。

さらに王命に逆らったものへもしばしば毒をもって死刑とした[10]。


狩りにもちいられた石剣や石槍


エジプト[編集]

他の文明と異なり、エジプトでは毒の使用およびその知識についてほとんど記録がされておらず、紀元前300年ごろと推定される史料までしか遡ることができない。

しかし最初期の有名なエジプトのファラオ、メネス王が毒性のある植物や毒液の分析を進めていたと考えられる記録もある[2]。

紀元前350年ごろの王ナクタネボ2世の治世の時代に、神官エサトゥムが彫ったといわれている石碑が現存している。

メッテルニヒ碑文もしくは魔術碑文といわれている。人々が病気の治癒の相談にやってくる神殿に石碑を建てたといわれている。

この聖なる石碑に刻まれた呪文を読みながら、石碑に注がれる聖水を飲み治療したと推測される。

しかしその後のプトレマイオス朝エジプトでは毒に関する知見が存在したという証拠が、古代の錬金術師アガトダイモン(おそらく紀元前100年ごろ)の著作にみつかる。

彼はある種の鉱物とナトロン(ソーダ石)が混ざると「猛毒」が生み出される、と語っているのだ。

この毒は、すっきりした解決を与えてくれる「水没 (disappearing in water)」と表現されている[11]。

エムズレーはこの「猛毒」が三酸化砒素ではないかとし、この正体不明の鉱物が鶏冠石か石黄と結びついたためだと推測している[11]。

エジプト人には、アンチモン、銅、鉛、天然の砒素、アヘン、さらにはマンドレイクといった素材への知識も継承されていたと考えられている。

他にもこのような秘密がパピルスには蔵されている。はじめて毒を高度に抽出し、巧みに操ったのはエジプト人だといまでは考えられている。

それは桃の種から取り出されたものだった[2]。

そしてついにクレオパトラの時代が訪れる。

彼女はアントニウスの訃報を耳にし、エジプトコブラの毒で死ぬことを選んだといわれている。

その死に先立って、彼女はまるでハツカネズミのように何人もの下女たちにベラドンナやヒヨス、ストリキニーネの木の種などいくつもの毒を試したと伝えられている[12]。


ローマ[編集]

ローマの皇帝ネロの胸像。

彼は気に入らない人間を排除するために青酸カリをもちいていた

ローマでの毒殺は晩餐の席や公共の飲食スペースなどで実行され、紀元前331年にはすでに確認されている[2]。

こういった毒殺は、社会のあらゆる階層で私利私欲のためにひろく行われた。

リウィウスはローマの上流階級や貴族たちのうちで毒殺された人間を記録している。

ローマの皇帝ネロも側近に毒を与えるのを好んでいたことで有名で、私設の毒殺者さえ置いていたという。

お気に入りの毒はシアン化物だったといわれている[2]。

ネロの先帝であるクラウデイゥスは毒キノコかそれに代わる毒草で暗殺されたという説があり、その死因については議論がわかれている[13]。

彼の毒見役であったハロタス、侍医であったクセノフォン、悪名高い毒殺者ロクスタ、この3人全員が暗殺につかわれた死の薬に関わったといわれている。

しかしクラウディウスの最後の妻であったアグリッピナこそが疑惑の中心人物とされており、おそらくは彼女自身が毒を調製したのだという。

一説では、夕食を一口啜ったクラウディウスは延々と苦しんだのちに死んだ。

またその場では何とか一命を取りとめたという者もいる。

それによれば、毒を吐き出そうとするのを助ける風を装うアグリッピナに、毒に浸された羽毛を喉に押し込まれて殺されたのだという[14]。

また毒を盛られたのは、夕餉の皿だとも浣腸器だともいわれている or by poisoned gruel or an enema.[13]。

ネロを寵愛していたアグリッピナは息子を帝位につかせようという野心を抱いており、クラウディウスにその陰謀を疑われたために彼を毒殺したと考えられている[15]。


中世[編集]

時代が下った中世ヨーロッパでは毒の性質が知られ、それが単なる魔法や奇跡ではないことが理解されるようになると、薬と毒を販売し供給するアポセカリーと呼ばれる商店が現れた[16]。

毒のもつ医学的な側面はほとんど知られていなかったのだが、そのあまり実用的ではなく合法的でもない目的から人々は公然と毒を買い求めたのだった。

それらアポセカリーで働く錬金術師たちは直に毒を扱わざるをえず、いつ健康を損なうかもしれない危うさのなかで仕事をしていた。

この頃には世界中で毒を扱う技術が進んでおり、たとえばアラブ世界では飲み物に入れた砒素を透明化し無味無臭にすることに成功しており、この手法を用いた暗殺者たちの毒は、発見する側の科学の未発達もあり、少なくとも100年間は検出されないままだったとされている[17]。

チョーサーの「カンタベリー物語」は14世紀から15世紀に書かれたとされるテクストだが、このアポセカリーから害獣駆除だといって毒を買い求める殺人者の話がでてくる。

And forth he goes no longer he would tarry

Into the town unto a ‘pothecary

And prayed him that he woulde sell

Some poison, that he might his rattes quell…

The ‘pothecary answered: "And thou shalt have

A thing that, all so God my soule save,

In all this world there is no creature

That ate or drunk has of this confiture

Not but the montance of a corn of wheat

That he ne shall his life anon forlete.

Yea, starve (die) he shall, and that in lesse while

Than thou wilt go a pace but not a mile

The poison is so strong and violent

カンタベリー物語 免罪符売りの話. Lines 565 581.

この引用は毒に言及した文学作品の例である。

毒と薬はフィクションのなかでは非常に普遍的なテーマであって、例えばシェイクスピアにもそれは当てはまる。

また学術的テクストでもこのテーマを論じたものがある。

フィクション、ノンフィクションに関わらず、その多くは僧侶によって書かれたものだった。

当時の僧侶は一流の知識人でもあり、このテーマで出版されたものの大部分が彼らの手による[16]。

ノンフィクションの著作の一例として、「毒の本The Book of Venoms」がある。

これは当時有名だった毒の効能と使用法について記したもので、1424年にMagister Santes de Ardoynisによって書かれた。

この本はその毒について最も知られるところとなる処方を記したものとも評されていた。

とはいえこの実際的な本は出版されることがなく、研究のためにとあるサークル内に留めおかれていたと推測されている[16]。


大衆の反応[編集]

真理が大衆から遠ざけられたままであれば、眼をそむけたくなるような毒の使い方についての民話や噂が広まることは防ぎようがない。

当時、イギリスをはじめとしたヨーロッパには毒への妄想症が蔓延した[16]。

適量をひそかに調製したなら致死性をもつであろうその「薬効」が周知の事実となったことにも後押しされ、毒への関心はうねりとなってひろがったのである。

毒をつかえばたやすく殺人が行える上、痕跡が残りにくく人目につかないため、大抵その犯罪は気づかれずに済む[16]。

おそらくこの妄想症の大波は巷の話題を独占したのだが、大衆が毒素に対する対策を求めても、それに関する本は不安を煽るだけか完全に間違っていたりしたことも背景にはあるのだろう[16]。

当然ながら冴えた書店員はこの問題を本を売るための「手」にし、人々がありもしない安全策をもとめて本を買うために危険を誇張した。

宝石商なども毒素を弱めるアミュレットを販売し、傷薬を扱う医師は当時この疑惑によって大きな利益を得た。

大衆が待ち焦がれていた情報は結局学徒と科学者だけのものであり、一般人はその妄想を確かめることができないままだったのである[16]。


中世ペルシア・インド[編集]

ペルシア生まれのアル・ラーズィー(ラゼス)の著した「秘中の秘Secret of Secrets」に塩化水銀(II)(corrosive sublimate 和訳は昇汞水)を発見する糸口をつかんでもいる。

これに由来する軟膏は、現在では疥癬と呼ばれるところの「痒み」とアル・ラーズィーが表現した症状を緩和するために用いられた。

この軟膏は効果的であった。

水銀の毒は肌に浸透し、痛みと痒みを消し去ることができたからである[18]。

インドでは14世紀から15世紀にかけてラージャスターンに内乱を抱えていた。

そこはラージプートの本拠地であったのである。

そしてラージプートの女性たちは、息子、兄弟、夫が戦死したならば、自ら毒によってjauhar(文字通りに「命を奪う」)を行う習わしを持っていた。

jauharはクシャトリヤという武人階級の間で行われていたもので、侵略者のもとでの従属や隷従、強姦、殺人という不幸を拒むためのものであった[19]。


ルネサンス期[編集]

ルネサンス期ごろには、違法かつ卑劣な目的で毒をもちいることが隆盛を極めていた。

それが人殺しや暗殺者に必須の道具となっていたことは間違いない[20]。

犯罪結社などで毒がそれだけの人気を得たのは、毒そのものに新たな発見がされ続けていたことにも理由がある[20]。

14世紀から15世紀に生きたイタリアのある錬金術師は、毒性をもった物質をかけ合わせることで同じものを増量するよりもはるかに強い効果を生みだすことに気づいていた[20]。

学問としての体系も整えられ、今日毒性学として知られるものに近づいていく。

こうして人を殺すための手段として毒は社会に根付いていき、夜会に訪れる人間は、主賓あるいは客の誰かが食事に毒を盛りはしないかと恐れるようになったのである[20]。
posted by arena8order at 10:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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